Common sense is the collection of prejudices acquired by age eighteen. It is harder to crack a prejudice than an atom.

ブラッド・スクーパ

森 博嗣 作「ヴォイド・シェイパ」の続編だ。今回も主人公「ゼン」は、はからずも戦いに巻き込まれていく。今回は立ち寄った村の庄屋「シシド」が持つ宝「竹の石」を狙っている盗賊との戦いだ。明敏な庄屋の娘「ハヤ」や庄屋に住み込んでいる学者「クローチ」との問答で、前作にひきつづき、人生の意味について、ゼンや脇役たちが思考をめぐらしている。

ゼン

村祭りを初めて見物するというゼンは、祭りの行われている神社を眺めながら、ハヤとの神についても問答から、神に縋る、信仰するということについて次のように思索している。

つまりは、己を信じることが難しいために、なにかほかのものに縋ろうとする、ということだろうか。(中略)自分を信じることができるならば、最初から何もいらない。(中略)しかし、その域に達することができるのは、よほどの達人あるいは高僧か。

クローチ

ゼンは、自分を育ててくれたカシュウが亡くなった際、悲しいと感じなかったことから、人間として欠けているのだろうか、とクローチに問いかける。その問いかけに対して、人間として満たされている、欠けているということに対して、クローチは次のように答える。

人間として満たされている状態とは何かといえば、それは結局、村の中で、その集団の中で、皆と同じように振る舞う術を知っているというだけのことだ。(中略)苦しい修行を重ね、悟りに至った高僧は、自らの心のみに忠実であり、外界や他者の影響を受けないものと聞きます。それはまさに、人として欠けている状態ではありませんか。

ふたたびゼン

ゼンは、庄屋がもつ宝「竹の石」の秘密を暴き、宝でも何でもないことを突き止める。庄屋の娘ハヤから「竹の石」を譲り受けた後、旅の芸者ノギとの会話の中で次のような悟りを得る。

そうか、今となっては、もう竹の石ではない。長く竹の石だったというだけのものである。人もまた、長く別物であったものが、いずれは正体を暴かれるのだ。(中略)価値があるものと周りに見せかけ、皆を騙し続けること、それが人の生き方そのもののようにも見える。

おわりに

第2作目のタイトル「ブラッド・スクーパ」は直訳すると「血を掬うもの」ということになる。著者の意図は、相変わらず、わかりにくいものであるが、物語の終盤で明らかになる。

以上

ブラッド・スクーパ
森 博嗣 著
2012/4/25 初版発行

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